広告右往左往

ダイアリーからこちらに引越しました。新しいものはポチポチ書こうと思っています。相変わらず広告屋のおっさんのしがないぼやきでしかありませんが、よろしかったらどうぞ~

いま改めて Being digital

これから掲載するドキュメントは、2007年に某業界の懸賞論文に応募した原稿をベースに加筆訂正をしたものである。某業界の懸賞論文では入賞も出来なかった。いろいろ原因はあると思うのだけれど、一番の原因はその時の懸賞論文に設定されていた「テーマ」に沿っていなかったということだと思っている。実は、これはある程度確信的にやったことでもある。そういった意味では、某業界の論文審査委員会に大変失礼なことをしたかもしれない。でも、敢えてそのタイミング(2007年)で、こんな事(これから何回かに分けてアップする原稿)を世の中に問うてみたいと思ったので、「ダメもと」で投稿をしてみたという経緯がある。

その当時、既にデジタルなメディアやテクノロジーは、コミュニケーション・プランニングの世界では不可欠な出来事になっていると実感しており、今までの延長線上のストラテジーやクリエーティブのプランニング方法では、変化した情報環境や、もしかすると広告会社よりも先に変化してしまっている消費者(生活者)を捉える有効なコミュニケーション・プランニングは出来ないのではないのではないだろうと言う危機感を持っていた。だけれども、業界(或いは私のいた会社?)はまだまだ旧来型のビジネスモデルの延長線上に、その機能や組織、職能を設定しており、このままゆくとそんなに遠くない将来に業界全体に限界がやってくるだろうと思い、敢えて業界全体に問うことをしてみようと思い立ったと言うのが、その経緯である。

考え方のベースに1995年にMITメディアラボのニコラス・ネグロポンテが著した「Being digital」で提示された「アトムからビットへ」と言う考え方を置いた。
詳細は今後アップするドキュメントを見ていただきたいが、何よりも私が改めて驚いたのは、2007年の時点で起きていた「デジタル化」と言う出来事を、ほとんどこの著作の中でネグロポンテは予見していたことだった。

わずか二年ほど前の事なのに、今読み返してみると既に「古臭い」感じは否めなくて、業界を取り巻くマクロ環境の変化と、それに対応するために必死に走ってきたと言うことを実感せざるをえない。そして、ここに書かれていることがどこまで実現出来ているか?については実現したこともあるし、結局あまり進化していないこともあると思う。
そして、広告会社がこの話の中で設定している「コミュニケーション・プランニング」と言うドメインに留まっていて、業界そのものが生き残っていけるのかどうかと言う、もっと本質的で危機的な状況がこの業界の上に降りかかっていると言う事を、改めてこの文章を読み返して感じた。
あえてこのタイミングでここに残しておこうと思ったのは、広告を職業としてきた自分が、2007年の時点でこんな危機感を持ち、もがいていたと言う事を残しておきたいと思ったこと、そしてわずかながらでもこのブログを御覧になっている、業界関係(或いは周辺業界)の方々が、それぞれの立ち位置で業界の事について思いを馳せていただけるきっかけになったら嬉しいと思ったからだ。
ちょっと長い話になるかもしれないけれど、お付き合いいただければ幸いである。