広告右往左往

ダイアリーからこちらに引越しました。新しいものはポチポチ書こうと思っています。相変わらず広告屋のおっさんのしがないぼやきでしかありませんが、よろしかったらどうぞ~

仕事はスキルでなくアートであるべき

広告・コミュニケーションと言うか、マーケティングの世界がここ数年加速度的にdata drivenなものになってきていると言う実感がある。
少し古いデータになるけれども、2007年にアクセンチュアから発表された「Accenture Global Digital Advertising Study 2007」の中で、

「広告活動はもっと成果ベースの活動を求められるようになる」:79%
「広告ビジネスにおける、分析技術はより正確になり、重要なポイントなる」:87%

と言う結果が提示されている。
そして、

「この新しい環境の中で最も失うものの多い業界は?」という質問に対して、
「広告会社」:43%(ここではトラディショナルな広告会社を指している)
「テレビ局」:33%

と、これまでの広告業界のメインストリーム(と言っても良いだろうか?)の二つの業界を合わせて7割と言う結果が提示されている。
リサーチの対象者は、広告業界の関係者を対象にしていたはずだから、この時点で業界自らが、課題はわかっていたと言う事だと思う。
日本のトラディショナルなエージェンシーにおいては、2007年の時点でここまでの危機意識を持って準備をしていた企業がどのくらいあったのかは、今になっては検証のしようもないのだけれど、実感としては全体のムードは、「そろそろヤバイっすね」と言いながらも、「とは言え効率的に稼ぐのはマスだよね」と言うムードが、あったのではと思う。
その後の状況については、色々な意見や見方があるとは思うけれど、個人的には広告或いはマーケティングに関する仕事に対して、「結果を可視化してコントロールする」と言うことが当たり前になってきており、誤解を恐れずに言えば、とっても「ビジネス」で「サイエンス」な感じに変化したと感じている。

広告の仕事に携わって四半世紀以上経ってしまったけれど、広告やコミュニケーションは、クライアントさんのマーケティング課題を解決するための一手段にすぎないし、もちろん「ビジネス」であることには間違いない事なのだけれど、いつもどこかに「アート」な匂いがしていた気がする。
そして、それが理詰めのビジネスを突破して、ある種の新しい価値を世の中に提供する原動力にもなっていたような気がするのも事実だ。

前述したように、マーケティングやコミュニケーションビジネスを取り巻く状況が、ますますデータドリブンになり、クライアントさんと本質的な「データシェアリング」をして、その最終成果に責任を持ちながら仕事を出来なければ、これから広告会社は生き残れなくなるだろう。
データやメソッドを用いた、定量的な分析とそこから導き出されてゆく戦略は、ある種のサイエンスだと思うし、もしかするとそれだけを聞く限りは「誰がやっても同じようなアウトプットが出て来る」と言うことが想像されるけれど、それを「お金を貰ってやる仕事」として成立させるためには、やっぱり「アートとして昇華」させないとお金は稼げない。
同じデータを見ても、そこから何を「発見」して「課題化」し、「解決のための手段」を創り上げるかは、クリエイティブな仕事だし、そこには「アート」が存在しているはずだと、私は信じている。

「アートは芸能であり、所作でありexclusiveなもの」な筈。仕事をアートとして昇華する事で、独自性が高く、価値あるものとなり、他には出来ないビジネスになるのだと思う。
様々なデータやテクノロジーが当たり前のようにマーケティング、コミュニケーションの世界に入ってきた今だからこそ、「今の時代のアートな仕事」を成立させるためのスキルをなるだけ速いスピードで身につけたものが、生き残ってゆくのだろうと感じている。