広告右往左往

ダイアリーからこちらに引越しました。新しいものはポチポチ書こうと思っています。相変わらず広告屋のおっさんのしがないぼやきでしかありませんが、よろしかったらどうぞ~

「次世代マーケティングリサーチ」

久々のブログ更新である。書こうとしている内容としては、3月1日に発刊されたトランスコスモスの萩原さんが書かれた、「次世代マーケティングリサーチ」について感じた「やられた!」と言う、感想(書評にもなっていない)駄文で、このコンテンツのネタは、この本を読んですぐの3月第一週に書いていたのだけれど、うろうろとコンテンツを上げ損ねているうちに、3月11日の天変地異を迎えてしまった。
まずは、その事実と被災地で被害にあわれた方々に、お見舞いを申し上げたい。
こんなちっぽけなブログだけれど、このことは避けて通れないと思っていた。

と言う事で本題。

この本及び、この辺りの話は自分自身も課題として長年持っている事でもあり、長文になってしまう可能性もあるので、必要であれば何回かに分けてブログに自分の考えを整理しておきたいと思っている。

ソフトバンクから出ているいわゆる「次世代」シリーズは、それぞれ面白く、その時々の関係するプレイヤーにとって、「その瞬間にストライク」な事を切りだす上手さがあるなと、前から思っていた。
逆に言うと、ある意味「旬の短い話題」が取り上げられていると言う感もあり、一年経ってみてみると「既に古さを感じる」という内容のものもある事は事実だと個人的には思っていた。
それが悪いと言う事ではなく、そのくらい変化のスピードが速くなっていると言うのが、今のマーケティングというものを取り巻く環境なのだろうと思う。
しかし、今回の萩原さんの著書は、もしかすると来年以降も「あぁそういえば萩原さんがそう言ってたよな」と読み返されるような、パースペクティブを表す書籍になるのかもしれないなぁと、ぼんやりと感じていた。

内容的に、ものすごくサマってしまうと、
■調査や調査会社、或いはそれに基づくマーケティングのアクティビティは、いま大きな変革を迎えてますよ。
■「質問した答えだけ(このだけが大事)」をベースにして戦略を立てるのではなく、お客様の声を生に聞く手段を手に入れつつあるのだから、『その言葉を聞く』と言う事も(この「も」が大事だと思う)スコープに入れることが、今の時代の「リサーチ」と言うものの概念だし、それに基づいて戦略を立てるのが、マーケティングというものじゃないんですかね?
と言う事を丁寧に解説している本。
と言う事だと思う。

もちろん、それだけじゃないけれど、このベースの考え方が明快に全体を貫いているところを見て、個人的には「やられた!」と感じた。
と言うのも、ここ数年もやもやしていたけれどもなかなか上手く形にまとめる事が出来なかった、「Fact BaseのData drivenなプランニング」と言う事を構成するある種の要素を、きちんと体系だてて整理し、その限界と可能性にも言及出来ていると言う事を感じたからだ。
本当は自分にはここまできちんとわかっていなかったのかもしれないけれど、この萩原さんの著書を拝見して、「なんで先に実践出来なかったのだろう」と後悔にも似た感情を抱いたのだった。

この項やっぱり続きます。

よもやこんな事でブログを書くことになるとは・・・

MacBook Air 11インチ欲しい!

↑と書くだけでMacBook Airが当たるかもしれない!と言うキャンペーンに応募するために思わずブログを連投することになるとはww
確かに今朝ブログに今年初めてのエントリーをアップロードするためにアクセスしたときにも「お知らせ」としてこんな内容が載っていたのは認識していたけれど、全く無視してました。親切な方が教えてくださった事もあって、魅力には逆らえずいきなり昼休みに即席のエントリーを書いている始末。
なんとも即物的な内容をブログの中に埋め込むと言う事を要求するキャンペーンなのだけれど、「書くだけ」っちゃ書くだけなのでやたらと参加のハードルは低かったりします。
まぁちょっとは真面目(?)に書くと、この「サービスの利用促進」キャンペーンって難しいだろうなぁ思うのですよね。
はてなさんの狙いとしては、「既にユーザーとなっている人たちのアクティブ化」(場合によっては有料ユーザーへのスイッチを狙う)と言う事と、「これをきっかけにして自社サービスへエントリーする新規ユーザーの獲得」の両方を狙っているのだと思います。
特に、はてなさんのようなサービスがいま置かれている状況を考えると、ユーザー数の増加によって、自らのソーシャルグラフとしての価値を高めると言う課題があるんじゃないかと、勝手に想像してしまったりもするので、特に後者の「新規ユーザーの取り込み」が大事だったりするのかなと思うのです。
と言うような前提で考えると、告知が基本的には自社媒体の中に留まっているのは(間違ってたらごめんなさい)かなりのハンディではないのかなぁと余計な心配をしてしまったのですね。
と言うような事も考慮(笑)して、このブログエントリーもtwitterfacebookで同時につぶやく事にします(笑)
ソーシャルメディア上での情報拡散の仕組みって、結構この辺の設計を上手くしておくことのような気がしていて、マルチなプラットフォームの上で情報を発信したい(「したい」と言うのがポイント)仕組みを作りこんでおくことによって、「自社媒体だけを使っていたはずなのに、気がつくとやたらとリーチが広がる」と言う拡散のメカニズムを作れるのじゃないかなと、ちょっと最近思っていたりもしたのです。
まぁそんな事をちゃんと考えついちゃったりするお得意さんがいっぱい出て来ちゃうと、「広告屋としては上がったり」の状態になるので、出来ればあんまり気がついて欲しくはない事でもあるのですが・・・
と言う事で、記事書いたんで後はMacBook Airが貰える事を祈るばかりです!(笑)

「twitterとfacebookと私」

すっかり遅くなってしまったが、新年初めてのブログを書こうかと。
タイトルはなんだか「いま流行りだからさっ!」って感じの二つのソーシャルメディアを掲げているけれど、内容的には「その社会的意義」とか「コミュニケーションプランニングの現場に与えている影響」とか難しい話を書くつもりはないので、このタイトルで「釣られた」方々には大変申し訳ないと、最初に謝っておく。
で、何を書きたいかと言うと、「自分で使ってみた実感」と「その功罪」を個人的な体験からメモしておきたいなと思ったからだ。
twitterfacebookのアカウントを取るはるか昔(と言っても5年くらい前)にmixiのアカウントも獲得し、それなりにアクティブに使っていた時期があったのだから、いわゆるソーシャルメディアとかSNSと言った類のものへのアレルギーは無かったし、twitterfacebookのアカウントもごくごく自然に取って、非常にモデレートにサービスに慣れていった感じはある。
mixiを使い始めた時は、仕事柄もあって「使ってみなきゃ!」と言う意識から、当時はまだ招待制であったmixiに、リアルで目の前に座っている仕事仲間に招待してもらってスタートしたのじゃないかと記憶している。
結果として、その後も私のマイミクさんはほとんどが「リアルワールドでのお知り合い」だったし、極端にいえば7割以上が「可視範囲の中にいる人」だった。
と言う事もあって、mixiに代表されるような日本のSNSサービスの匿名性と言った事はほとんど意識する事も無かった。
そんな使い方をしていたせいもあるのだろうか、「別に目の前に居るんだから直接話せばいいじゃん」とか「特別な自分をそこで演出して何かを発信する」と言う気持ちにもならず、気が付いたらば徐々にアクティビティが落ちて行って、いまや「ほぼ放置プレイ」状態にある。
twitterfacebookのうち、最初にアクティブに使い始めたのはtwitterの方だった。
情報がフローしていることの面白さを持っているというのがtwitterにアクティブに関わり始めた理由だと思う。
あるテーマに沿って自分が発信すると、その情報に価値があると思ってもらえれば、自分のフォロワーを基軸にして一気に議論の輪が広がって行き、思いもかけなかったような話に発展すると言う事があるのだなぁという事を何回か経験して、「こいつはちょっと面白いぞ」と思ったのが、しばらくtwitterにはまったきっかけだった。
自分の発言のログをまとめられるサービスを併用することで、自分のための情報アーカイブにしようと言う目論見もあって、しばらく自分でも発信することを積極的にしていたし、気になる情報をツイートされる方のフォローをさせていただいたり、そのツイートをRTさせていただいたりとかなり積極的に使っていた。
しかしである。twitterの一番の特徴である情報の即時性と言うか、フローであると言う事が、実際に使っているうちにちょっと不便と言うか、苦痛になってきた。
フォローさせていただいている方が増えるに連れ、莫大な量の情報が自分のタイムラインを流れ始めて収集が追いつかなくなってきたと言うか、そもそもそんなもの全部見てたら仕事にならない(笑)と言う状況にもなったし、何よりも積極的に関わるのが「面倒くさく」なった。
その瞬間になんだか一気にtwitterに対しての関わり方の熱が冷めると言うか、そもそもフロー情報を切り取ってアーカイブしようと言う事の無謀さに気がついてしまった。
で、なんとなくそれ以降はなんとなくタイムラインは見たりするけれど、そこにあまり積極的に関わらなくなってしまった感じがしている。
で、facebookである。
今週の週刊ダイヤモンド(だっけ?)にも特集が組まれるように、なんだか日本では妙なブームになっている感じなのが、ちょっと気持ち悪くて、「一体どのくらいの人が、本当にこのサービスを必要としてるんだろ?」と言う気がしてちょっと傍観モードになっている。
自分自身は、特にここ数カ月の間に一気にfacebookへのアクセスが増えていると言う事実は棚上げして、そんな事を感じている。
何故かって言えば、やっぱり基本は「面倒くさいもの」だから。
ソーシャルメディアって乱暴に言えば、自分がアクティブに関わると自分にカスタマイズされた形に進化して、凄く価値を持つものになるけれど、それはかなり積極的にそのサービスを使い倒す気持ちでいないと実現されないなぁというのが私の実感なのだ。
情報の収集、発信のためのプラットフォームとして意味を持つためにも、自分の発信している情報が、少なくともある一定量の人たちにとって「意味のあるもの」であると言う事が認められないと、なかなかそこから新たな付加価値がついてゆく形で情報が進化していかないし、そのためにも自分の「お友達」が自分の興味関心の領域を中心に広がるように、積極的にバーチャルな空間でも「社交」して、「友達の輪」を広げないと、思ったほどの価値や面白さは産まないものだと感じている。
そういった意味では、リアルな世界での「人脈作り」と言う事と本質は同じことだと思うし、リアルに目を見て話せないだけに「関係づくり」にはもしかすると余分にパワーが必要だと言えるかもしれない。
とは言え、けしてこの手のサービスを否定しているわけではなく、実際には「思いもかけない再開や出会い」が、国境を越えてなされるチャンスがあるのも事実であり、その中から発展してゆく人間関係や価値の連鎖がある事も事実だろう。
ただ前述したようにそこにはある種の面倒くささと言うハードルがあるのも事実であり、自ら積極的に関わろうと言う気持ちが無い人にとっては、「なーんだ」と言う事になってしまいそうな危惧を感じている。
振り返って自分の事を考えると、やっぱり「面倒くさいこと」になっているかな?と言うのは実感。
リアルワールドでの関係にプラスして、ここでの関係を維持したり発展させるためには、一定量の時間とアタマをこちら側にも割かなくてはならなくて、それが時として「負担」に感じる事もあるから。
だから最近のスタンスとしては「ゆる〜く」行くと言う事にした。
アクティビティが上がっていると書いたfacebookも基本的には、「自分のための情報アーカイブ」としての使用がほとんどと言う感じで、それこそプライベートから仕事がらみまで興味を引いた事を雑多にアップロードしておいて、時間のある時に見直したりする場所と言う割り切りでいる。
何らかの「野望」や「欲望」(笑)を抱いて、この手のSNSにはまっている方は、かなりの労力をそこでの人間関係の維持拡大に費やされているのだと思うけれど、私はそこまでする気はないなぁというのが実感。
自分の時間は有限だし、こちらサイドに時間を取られると仕事出来なくなっちゃうのでね。
皆様もお気を付けを!

大晦日

とうとう今年の最終日になってしまった。
28日は仕事もひとまずお終いになって、休暇モードに入ったのだけれど、なんとなく今年の年末は「終わったなぁ」という感じにならず、officeには行かないものの、ズルズルと「onな気持ち」を引きずっている。
まぁだからと言って、自宅で朝から晩まで何か仕事しているのかといえばけしてそんな事もなく、一応家庭人としてしなければならないような「年末の諸行事」的なものには手を染めつつ、頭の片隅でなーんとなく薄ぼんやりと「現実」を引きずっているような状況。
確かこのブログの今年の始めの方に「何事にも一生懸命」を今年のテーマにしようと書いたはずなのだけれど、果たしてこの状況は一生懸命なのやら中途半端なのやら・・・
振り返ってみればこんな気持と言うか状況で、ずーっと一年走ってきたような気がしている。それが良いこととは思わないけれど、常にonな状態が切れない感じというか、出し切れていないという感じがつきまとっていて、かなり不完全燃焼な感じがしているのも事実だ。
これって裏を返せば、on timeに全力を出し切れていないということなのだという事も事実なのだろうと、当の本人は思っていて、そういった意味では念頭の目標をやりきれていないという感じは否めない。
そもそも「全力で一生懸命」ってなんだろうと考えれば、一番の大事なポイントは周りからの評価がどうこうではなく、本人自身がどの程度納得できているかなのだろう。周囲の評価はその結果付いてくるもので、本人の予想以上に評価をいただいたり、逆に自分の頑張りに対して周りは思ったほどそれを見ていてくれなかったりと色々なのだなと、やっとこの歳になってわかった気がしている。
きっと、このエントリーがブログの今年最後のエントリーになると思うけれど、今年の自分に対する自戒と来年への宣言ということも含めて、改めて今年一年を過ごした自分の気持ちを記しておこうと思う。
来年は、もっとアグレッシブに行きたいなぁという、漠然とした目標はもっているので、それを忘れないためにも。
みなさま、良いお年を!

スマートフォンって・・・

先日遅ればせながらプライベートの携帯電話を、サムソンのギャラクシーSに機種変更した。i-phoneが出たときからスマートフォンを「欲しいな」と思いながら(商売柄持っていろよというプレッシャーも受けながら)、どうしても「キャリアを変える」というハードルを越えられず(電波の状況とかあるものねぇ)、いわゆるガラケーを使い続けていた。
電話としての機能は、もちろんガラケーでも何の問題も無く、むしろ電池のもちなんていう事まで考えれば、完成度が高いツールと言えなくもないと、今でも思ってるし、不便を感じる事も無かった。

しかし、実際にギャラクシーSを手に入れて、自分はこの手のデジタルながジェット好きだったと言う事を思い出さされた。
というのも、そもそもPDA(Personal digital assistant)好きで、Palm threeのIBM版のWork padが国内で発売されたときに真っ先に飛びついて使ったりしたと言う個人的な歴史(笑)があり、ギャラクシーSを使った時に真っ先に「似ているもの」としてこの手のPDAだなぁと思ったのでした。

このworkpadni外付けで携帯電話を(まだアナログだったかも)つないで外からメールをチェックできると言う環境も揃えて、スケジュール管理や簡単なメモなども含めて、かなりガリガリ使い込んでいた。
その後、後継機種として本家PalmPalm fourを使っていて、この機械はデザインも含めてかなり気に入っていたし、「グラフフィティ」という独特のアルファベットを使う入力法も、かなりスピーディーに入力が出来る事もあって、Palm系のマシンには愛着を持っていた。

その後、やっぱり持ち歩ける軽量のPCライクなマシンが欲しくなって、出始めのWindows ceを積んだHPのjordanaの最初のモデル(680だったっけ?)を購入して、これにdocomoの64kのPHSを挿して使っていた。(これって、そのカード部分を元に戻すと通話の出来るPHSだった)
このマシン、悪くは無かったのだけれど、やっぱりPCとしては中途半端、かといってPDAとしては大きすぎという事で、どうせ持ち歩くのならば普通のノートPCという事に落ち着いてしまった。そして、PDA的なものに関しては他に代替も無いと言う事で(その頃既に本家PalmもOEMでClieブランドを展開していたSONYも市場撤退の状況)、最後はHPのIPAQをしばらく使っていた。(モデル名は忘れた)

でも、PDAを使っていて、いつも中途半端感がぬぐえなかったのが、母艦であるPCとの連携を常に取っておかないとなんだか「どっちの情報が新しいんだっけ?」な状態になることと、入力デバイスがどうしても「紙にペンで書く」スピードに追い付かないので、結局「紙にメモしちゃう」といういかにもありそうな事だった。

スケジュールの管理をgoogleカレンダー上に移して以来、携帯からそこを覗くと言う事で、この「どれが最新」状態から解放されるとともに、「携帯以外にPDAを持つ」という必然性がなくなってここ数年はその手のものを持たずに暮らしていたのだけれど、googleカレンダーやらドキュメントやら、はたまたever noteなんかのクラウドサービスを使うようになった昨今、i-phoneユーザーを「羨ましいなぁ」という気持ちで見ていたのは事実だった。

で、やっと「キャリアの問題」が片付いて晴れてギャラクシーSが手元に来たのだが、予想通りというか予想以上に便利に使えている。
当たり前の事だけれどアンドロイドマシンはgoogleの各サービスとの連携がよく、カレンダーもどこか(PCでも携帯でもという事)をローカルで変更すれば、同期を気にしなくても自動的にとれていると言う、昔だったらば感動ものの状態(笑)にあるし、基本は電話といいつつも一昔前のPC並みの機能をこれ一台でこなせてしまうと言う事で、もしかすると毎日持って歩いているMac book proも持たなくても良いかな?とも思っている。(最近プレゼン屋として自らプレゼンする機会も減ってるし)
唯一、「電池のもちがやはりね」というのが課題だけれど、これはエマージェンシーで充電できる環境を持つと言う事で(エネループのmobileチャージャーとか)解決すればよいと割りきれば、かなりの満足度と完成度を持っていると評価できる。

でも、これって、必ずしもスマートフォンというハードウェアだけの評価ではなく、クラウド上でサービスが色々と提供され、それを当たり前のように使うようになったと言う、環境の進化、変化によるところも大きいのだと改めて思った。
そういった意味では、googleがもたらした恩恵は大きなものがあるし、それに追随するように出来上がったエコシステム全体が大きな価値を持っているのだと、改めて思わざるを得なかった。
逆に、ここまでこのエコシステムに自分の情報をゆだねて居ることが、本当に大丈夫なのかな?とも思ったのも事実。
でも、この流れは不可逆的なもので、戻れないのだろうなぁ・・・

30分ブリーフィング

ここ半年ばかり仕事の内容が変わって、同じ企画仕事でも「クライアントさま向け」の提案作業だけでなく、「自分の会社の事業戦略企画」のような話に関わらざるを得なくなった。
必然的に自分の会社の役員のや、ラインのマネージャーの人たちに対してその内容を説明する機会が激増しており、クライアントサービスとしての企画やプレゼンとまた変わった難しさに直面することになっている。

そう言った日々の仕事の中で、非常に大切だと感じているのが、「どんな複雑な話でも30分で説明と質疑を完了させる技術」だ。
良く「エレベーター・ブリーフ」(エレベーターの中の数分間で、上官に対して状況を理解してもらえる形でブリーフをする行為)なんていう事が言われていて、上司に対しては簡潔にして明瞭に報告するのが肝要、と言った事がビジネス書などにはかかれている。
最近ではエレベーターのスピードも速いからそのスピードの中での理解は難しいかもしれないけれど、経験的には一つの案件を30分以内に片づけると言う事が、案件をスピーディに進展させるためのコツのような気がしている。

どの会社でもそうだろうけれど、「会社の偉い人」と言うのは殺人的なスケジュールの中で、様々な報告を受け決断をしているため、たとえ打ち合わせの時間を一時間貰っていても、集中して案件に取り組んで貰えるのは30分くらいなのではないだろうか?
もちろん、もっと長い時間の議論になると言う事も多々あるのだけれども、自分の言いたい事をきちんと伝えて、核心部分を理解してもらい、かつ意見を述べて貰ったり、決済をしてもらうためには最大30分以内で決着するような段取りが必要と感じている。
特に、「何らかの結論」をその打ち合わせの中で出してもらって前へ進めたい案件であればある程、この原則に沿った資料と段取りの用意が必要と思う。
長い会議は、得てして「じゃぁその件は引き続き検討って言う事で」と言う話になりがちだから、目的の全てが承認されなくても、なんらかの進展を約束する「決定」を持って打ち合わせを終了するように心掛けないと、なかなか物事が進まない。
そのために何か特別なノウハウがあるのかと言われば、これと言って特別な事は無いような気もするけれど、一番大事なことは「コンテンツを盛り込みすぎない」と言う事ではないだろうか?
どんな課題も複雑に見えても「決めて欲しいこと」はどんな時でも比較的シンプルにする、と言うのが原則だと思う。
その「結論に至る選択肢」をロジカルかつ明快に提示し、かつ「リコメンドする方向」も合わせて提供することで、デシジョンメーキングをサポートすると言う事に徹した資料づくりと、ブリーフィングを心がけると言う、とってもオーソドックスな事を着実にするという事じゃないかと思う。

まぁ考えてみればクライアントさんへ向けてのプレゼン作業でも同じことで、「何らかの結論や言質」をプレゼンしたその場で獲得することのできないプレゼンは、あまり効果的とは言い難いし、そのためにも聞き手の側がすっきりと飲みこめる形にパッケージングした「出し物」を準備しておく必要がある。
広告会社のプレゼンって、どうしても「自分たちはこーんなに色々出来るんですよ〜」と風呂敷を広げがちになるのだけれども、クライアントさんが聞きたい話は「自分たちの課題に対してどうやって答えてくれるの?」って事なのだから、そこにフォーカスをしないとダメなのは明白。
そういった意味では、どんなプレゼンも30分ですべてを理解してもらえるような構造、と言う事を念頭において組み立てを始めるのも大事なことかもしれないなぁと、改めて思ったりもしている。

企画のお作法

広告会社で「戦略プランナー」のような仕事をしてだいぶ長い時間を過ごしてきた。もっともここ数年は自らプランナーとして現場の仕事をする機会もぐぐっと減って、ラインマネージャーとしての仕事やら、同じ企画でも自分の会社の事業戦略考えたりと言ったどっちかと言うと経営サイドの仕事が増えたりしているし、クライアントさんと向き合う現場仕事でも、通常のコミュニケーション戦略のプランニングと言うよりは、共同での事業の立案やプロデュースやらと言った、なんだかややこしい仕事に首突っ込むケースが増えているなぁと思う今日この頃ではある。
きっとこれって、広告会社を取り巻く環境が変化していて、期待される役割も微妙に変化が続いていると言う事なのだと思う。
そして、それはチャンスでもありピンチでもあるのだなぁと日々実感しながら仕事をしている。

と言うように、色々と内容に色々と変化はあるものの、結局のとこと「企画」をする仕事に携わっていると言う事に変わりはないし、企画〜実施までを見通して仕事をする時の「お作法」は、企画の中身に関わらずあまり変わりはないのかな?と感じたりしたので、自分用にメモにしてみた。
(と言う事なので、せっかく読んでくださった数少ない読者の皆様には何の役にもたたないかもしれないのであしからず)

企画をする時の、もすごーく基本的な進め方の骨組みは、
1,Situationを理解し、
2,Complicationを解きほぐし、
3,Resolutionを提供する。
の三ステップで考える事。
課題が複雑だったり、今までやったことのないような仕事でも、いったんこの枠組みにばらして必要なことを収集、発散、収束と言う形で進めると、それが「ベストの凄いアイデア」にはならないかもしれないけれど、ひとまず一塊のアウトプットになってゆくし、それを「たたき台」にして、他の人たちの知恵を借りながらブラッシュアップしてゆく事が出来る。

1,Situation
簡単に言うと、「与えらている課題の周辺の状況や出来事の把握や情勢の整理」を現してるのですが・・・。
通常の広告屋の企画仕事だと、「市場」だったり、「競合」だったり、「消費者」だったりと言う事を指し示すのだろうけれど、もう少し広義に捉えると、課題を持ち込まれている会社(クライアントさん)自体の財務状況だったり「社内事情」だったり、取り巻く社会情勢やcommon senseだったりを含めた「状況」を判断するための要素と言う感じか?。これらを丁寧に収集して、「並べ替え」たり「継ぎ足し」する作業でSituationの把握が出来る。
結構ここでの作業次第では、次のステップのComplicationが炙り出されてくるって感じかなぁ?
作業的にはケースバイケースで、普通に競争戦略分析のフレームで済んでしまう事もあるだろうし、ぜーんぜん違った視点で行う事でもある。 けっこう最終的なResolutionの出口作りになっちゃう場合もあるので、丁寧にやることが大事かもしれないって思ってる。

2,Complication
簡単言えば「課題を解決するために越えなければいけない複雑さの理解」って事。
丁寧にSituationを分析していると自ずと見えてくる場合もある。気をつけたいのは、ここが作業の最初からわかりすぎている案件で、どうしてもその「見えている」(と思っている)仮説的な課題にめがけて前段のSituationの分析のゴールを合わせてしまって、本質的な課題の深さや広さに到達できなくなること。
Complicationと言うくらいで、どんな案件も大体の場合は、問題点や課題点は複雑に絡み合っている事が多いもの。
その辺りの諸々の事情を解きほぐしてゆく過程で、結果としてResolutionの提供に繋ってゆく感じ。

3,Resolution
文字通り「解決策の提示」って事
解決策に到達する過程では、もちろんある種のBig IdeaとかCreative Jumpのようなものが必要な場合が多いのは確かだし、そこに大きな期待がかかっている場合も多々あろうかと思う。
でも気をつけないといけないのは、ここまでの過程で解きほぐしてきた、分析や洞察を踏まえた上での飛躍が必要と言う事。
Innovationは必ずしも過去の延長線上にはないものかもしれないけれど(かのシュンペーターも本質的なInnovationとは創造的破壊であると言ってますが)、最低でも「今置かれている状況」を改善するものでなければ、解決策にはならないのだからそこはきちんと踏まえたうえで、飛ぶのならば飛ぶと言うように決めるべき。
そしてもう一点留意すべきは、「解決策」はきちんと「解決を提供」しなければいけないものであり、「考え方」や「方向性」を提示することではないと言う事を肝に銘じる。
自分がその課題を抱えている当事者(クライアント側)だったらば、机上の空論などには何の価値もないと思うのは明白。
「実行」できること、そしてその実行にどこまで「コミット」出来るのかの覚悟を提出するのが、Resolutionと言う事。

なーんて事を理想的には考えながら、つらつら仕事するわけなのだが、必ずしもこの通りにやっているとは限らないし、結果も全然ダメって事も多くて落ち込んだりもする。
ただ、この枠組みを使ってみてわかったことの一つに、実は多くの場合、ComplicationとResolutionは課題を投げかけて来たクライアントの現場に既に内在している(はず)と言う事だ。
従って、我々プランナー(或いはコンサルタント)は、それを可視化して方向性をつけ、最終的に実行支援をするために、阻害している要因を特定し、それを排除、改良するのが役割なのだと思う。
だから、「良い企画仕事」と言うのはofficeのデスクに座ってだけいても出来るものではなく、課題を投げかけてくれているクライアントさんの正面にきちんと向き合い、時にはその懐に深く入り込むと言う時間を多く持ちながらする事が大切なのだと痛感する。
そのためにも多くの業界、事例を経験して、その事例を応用しながらクライアントをエンカレッジする事が大切。

しつこいようだけれど、ビジネスとしての企画仕事は企画する事だけが仕事なのではなく、実行支援までにコミットすることだと思う。それをしない限りはビジネスにならないし、次につながらないのだと言う覚悟を持って取り組まないといけないと思っている。